73回目を迎えて
今年もまた8月15日がやってきますね。
毎年この時期になると当ブログでは満州へ出兵した
私の 故おやじ の話をさせていただいておりますが
今年は 私が20歳の時に体験したお話 をさせていただきますね。
それは寒い冬の日の話でね
友人と二人で鳥取へジープで旅行に出かけたんですよ。
雪深い山陰の鳥取でしたが
そこは四輪駆動の王様ジープ
なんの問題もなく無事鳥取へ到着。
若い頃だったので貧乏旅行でね
泊まった宿はユースホステル。
ユースホステルって現在でもあるのかな?
まぁ当時はとにかく旅に出たい一心であっちこっちいろんな所へ行ってましたし
寝袋ひとつだけ持って旅行したりしてた青春時代でした。
その時分の鳥取でのユースホステルで体験したお話です。
そのユースホステルは鳥取市内から車で30分ぐらい離れた山の中にあったと記憶しています。
雪もかなり積もってました。
が、36年前の話なんで正直、
どんな宿泊施設だったのか、詳細は覚えてないんです。
ただひとつ、今でも鮮明に記憶に残ってる言葉があるんです。
そこのユースホステルの管理人さんは
ご高齢のご夫婦で営まれていたご様子でした。
無事、宿泊施設に着いた友人と私は
お風呂に入って夕食も済ませ、ほっこりした時間を過ごしていました。
どうやら宿泊客は私達二人だけだったようでね
そのご高齢の管理人さんご夫婦が
「よかったら 一緒にお酒でも飲みませんか」
と私達二人にお声をかけてくださったんです。
喜んで私と友人は管理人さんご夫婦の 「どぶろく」 の接待?
をいただきました。
くどいようですが、なんせ36年前の話です。
どんな話をしたのか
どれくらいの時間が経っていたのか
よく覚えてないんですが
楽しい時間が流れていた記憶がありました。
私ども若造に対してもすごく丁寧に
満面の笑顔で対応していただいていたのを
現在でもはっきり覚えています。
そんな中、話題は戦時中の話になったんです・・・
どうやらご主人さんは戦時中は公務員?
か何かようわからんのですが
国に仕えておられたようでしてね、
年齢の加減もあってか出兵はされず
国内で任務されていたようでした。
その勤務先は広島市・・・
みなさんご存知の通り
8月6日に原爆投下された都市です。
ところがそのご主人さん
原爆投下される何日か前に神戸へ移動の指令を受けたそうなんです。
だから8月6日、ご主人さんは広島じゃなく神戸にいらっしゃったんです。
私はその話を聞いてそのご主人さんに対して
このおっさん、超ラッキーやん!
って、マジで思ったんです。
ところが・・・
それまでまだ右も左もわかってない若造の私たちに
満面の笑顔で対応してくださってたご主人さんが
この話が始まったとたん
( この話は 奥様が語られていました )
人が変わったかのように鬼の形相で
わしは逃げてへん!
お上の命令に従っただけや!
・・・・・・
ご主人さんは喜ぶどころかその日に神戸にいたことを恥と思っておられたようです。
超ラッキーやんなんて思ってた私が恥ずかしくなりました。
もちろんそれまで一緒に仕事をしていた知人友人を一瞬にして亡くされたんですもんね
お気持ちはわかりますが・・・
そのご主人さんに声をかける言葉は見つかりませんでした。
なんと表現すればいいのか
現在でも適切な言葉すら思い浮かびませんが・・・
なんでしょう・・・
教育の恐ろしさを思い知りました・・・
台風・・・ 震災・・・ 豪雨・・・
間接的には人的な被害はあるかもしれんけど
直接的には全部自然災害です。
自然には逆らえません。
でも戦争は明らかに人的災害なんです!
人間のエゴで何百万人の尊い命が犠牲になる最大の災害です。
♪ 戦争が終わって ぼくらは生まれた
戦争を知らずに ぼくらは育った ♪
「懐かしいな」
と思われた人も多いでしょう。
戦争を知らない子供達が人口の90%を超えたそうです。
そしてこの歌すら知らない人が増えてきてるのもまた事実です。
戦争経験者に直接戦争の悲惨さを教えてもらった私達の年代が
現在の若い人たちに戦争の愚かさを伝えていかないといけませんね。
歴史は遡れませんが
せめて8月6日の前に終戦記念日を迎えられなかったのか
と思います。
歴史は遡れないからこそ
同じ過ちを繰り返さないことを祈ります。
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毎年この時期になると当ブログでは満州へ出兵した
私の 故おやじ の話をさせていただいておりますが
今年は 私が20歳の時に体験したお話 をさせていただきますね。
それは寒い冬の日の話でね
友人と二人で鳥取へジープで旅行に出かけたんですよ。
雪深い山陰の鳥取でしたが
そこは四輪駆動の王様ジープ
なんの問題もなく無事鳥取へ到着。
若い頃だったので貧乏旅行でね
泊まった宿はユースホステル。
ユースホステルって現在でもあるのかな?
まぁ当時はとにかく旅に出たい一心であっちこっちいろんな所へ行ってましたし
寝袋ひとつだけ持って旅行したりしてた青春時代でした。
その時分の鳥取でのユースホステルで体験したお話です。
そのユースホステルは鳥取市内から車で30分ぐらい離れた山の中にあったと記憶しています。
雪もかなり積もってました。
が、36年前の話なんで正直、
どんな宿泊施設だったのか、詳細は覚えてないんです。
ただひとつ、今でも鮮明に記憶に残ってる言葉があるんです。
そこのユースホステルの管理人さんは
ご高齢のご夫婦で営まれていたご様子でした。
無事、宿泊施設に着いた友人と私は
お風呂に入って夕食も済ませ、ほっこりした時間を過ごしていました。
どうやら宿泊客は私達二人だけだったようでね
そのご高齢の管理人さんご夫婦が
「よかったら 一緒にお酒でも飲みませんか」
と私達二人にお声をかけてくださったんです。
喜んで私と友人は管理人さんご夫婦の 「どぶろく」 の接待?
をいただきました。
くどいようですが、なんせ36年前の話です。
どんな話をしたのか
どれくらいの時間が経っていたのか
よく覚えてないんですが
楽しい時間が流れていた記憶がありました。
私ども若造に対してもすごく丁寧に
満面の笑顔で対応していただいていたのを
現在でもはっきり覚えています。
そんな中、話題は戦時中の話になったんです・・・
どうやらご主人さんは戦時中は公務員?
か何かようわからんのですが
国に仕えておられたようでしてね、
年齢の加減もあってか出兵はされず
国内で任務されていたようでした。
その勤務先は広島市・・・
みなさんご存知の通り
8月6日に原爆投下された都市です。
ところがそのご主人さん
原爆投下される何日か前に神戸へ移動の指令を受けたそうなんです。
だから8月6日、ご主人さんは広島じゃなく神戸にいらっしゃったんです。
私はその話を聞いてそのご主人さんに対して
このおっさん、超ラッキーやん!
って、マジで思ったんです。
ところが・・・
それまでまだ右も左もわかってない若造の私たちに
満面の笑顔で対応してくださってたご主人さんが
この話が始まったとたん
( この話は 奥様が語られていました )
人が変わったかのように鬼の形相で
わしは逃げてへん!
お上の命令に従っただけや!
・・・・・・
ご主人さんは喜ぶどころかその日に神戸にいたことを恥と思っておられたようです。
超ラッキーやんなんて思ってた私が恥ずかしくなりました。
もちろんそれまで一緒に仕事をしていた知人友人を一瞬にして亡くされたんですもんね
お気持ちはわかりますが・・・
そのご主人さんに声をかける言葉は見つかりませんでした。
なんと表現すればいいのか
現在でも適切な言葉すら思い浮かびませんが・・・
なんでしょう・・・
教育の恐ろしさを思い知りました・・・
台風・・・ 震災・・・ 豪雨・・・
間接的には人的な被害はあるかもしれんけど
直接的には全部自然災害です。
自然には逆らえません。
でも戦争は明らかに人的災害なんです!
人間のエゴで何百万人の尊い命が犠牲になる最大の災害です。
♪ 戦争が終わって ぼくらは生まれた
戦争を知らずに ぼくらは育った ♪
「懐かしいな」
と思われた人も多いでしょう。
戦争を知らない子供達が人口の90%を超えたそうです。
そしてこの歌すら知らない人が増えてきてるのもまた事実です。
戦争経験者に直接戦争の悲惨さを教えてもらった私達の年代が
現在の若い人たちに戦争の愚かさを伝えていかないといけませんね。
歴史は遡れませんが
せめて8月6日の前に終戦記念日を迎えられなかったのか
と思います。
歴史は遡れないからこそ
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何だかこのご主人の話しを奥様がしていて、
実際は、奥様だけで営まれている
ホテルだったのかと(('゚;Д,゚、.))ガクガク
ユースホテルって響きが懐かしいですね!
確かに昔の事、凄く覚えてる部分と、
全く覚えてない部分がありますよね。
私も今朝、社長の家に社員とお年賀に行ったのに
何を食べたのか?何が出てきたのかえ覚えていなく
同僚と持って行ったお土産を買った事しか覚えていない。
って夫に話したとこ(;^^)
偶然死を免れた方って、良かった!て聞くと思うけど
どうしても、自分だけ生き残ったと
後悔や苦しみで一杯になるそうですね。
そのようにご主人に言われたたら返す言葉見つからないですね。
今も私の年齢でもわからないです(´;ω;`)
昨日も日航事件で、当時の事故を知らない社員が90%なんですって。
その社員の方が遺族の方に説明されていました。
ほんと時間はあっと言う間に過ぎ去りますね。
戦争も知らない私たちですが
今後、2度と戦争も起きてほしくないですよね!!